道標

先日、千葉県の成田山にある書道美術館で、4/23まで開催されている『高木聖鶴』展に伺った。
聖鶴先生は、私が最も敬愛する書家のお一人。

当日は長年にわたり聖鶴先生のお弟子さんであられた森上光月先生、藤川翠香先生らのギャラリートークが行われ、生前の数々のエピソードが語られた。興味深いお話を一つご紹介。

数年前、森上先生が聖鶴先生に、こう尋ねたそうだ。

森上先生
「聖鶴先生、“起・承・転・結”で例えると、今の私はどれくらいまで辿りついたのでしょうか?」
聖鶴先生
「そうじゃな、おまえは“起”の始まりじゃな」
森上先生
「それでは、先生は今、どれくらいのところにいらっしゃるのですか?」
聖鶴先生
「“承”の終わりか、“転”の始めじゃな」

文化勲章も受章され、間違いなく現代の仮名の第一人者であられる聖鶴先生が、ご自身のことを“結”ではなく、“承”か“転”であると即答されるところが凄い。

最近のニュースによると、新入社員で数日のうちに〈思った仕事と違う〉〈上司が早く帰してくれない〉などを理由として、早々に決断して辞めてしまう人が多いと聞く。

必ずしも自分が思い描くような道ではなくても、歩き続ければいろんな風景が見えてくる。
道半ばで途方にくれても、それだけ自分には可能性が残されているということなのかもしれない。

道標

普通という大切なこと

春の嵐

関連記事

  1. 空の向こう

    2022.08.11
  2. おもかげ

    2017.08.19
  3. 2021.12.13
  4. 言葉の力

    2021.01.21
  5. 最適化と主義

    2019.07.17
  6. 感受性

    2023.06.05
PAGE TOP