2016年9月 熊野

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日本画家と書家のコラボレーションから

筆と墨の魅力を知ってもらう

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_1

>席上揮毫のダイジェスト画像は準備中

          

墨という無限の可能性

広島県の熊野町は、日本の筆生産の9割を占める産地です。
その中枢機関である一般財団法人「筆の里工房」より、「SUMIの輝き」というイベントへの出演をご依頼頂きました。筆の魅力をお伝えするトーク・ショー的なものに出演させて頂くのかと勝手に思っていたところ、日本画の分野で第一者であられる中野嘉之先生とのコラボレーションによる作品制作を行って欲しいというご要望でした。

正直言って、これは大変なことになったという気持ちになりました。ただ企画して下さっているのが、学習院大学の島尾新先生であるということをお聞きして、お断りする理由がなくなってしまいました。何故なら、私は、日本の中世文化をご専門とされている島尾先生の著書の読者であったからです。
そんな経緯もあってこの企画は実現する運びとなりました。

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_2

中国においては、絵と書が一つの作品の中で共存することはごく普通にあるのですが、日本においては、過去の作品で有名なものは、寛永の三筆の一人で、琳派の創始とも言われている本阿弥光悦が俵屋宗達と作ったものくらいではないでしょうか。

でも、今回の試みが毛筆と墨の魅力を少しでもお伝え出来ればと思いました。

同じ墨を用いるといっても、水墨画と書とでは、筆の種類も書き方も、また厳密には紙も違います。

書き手である私が捉えている違いとしては、水墨画は“面”、書は“線”という意識があってそれぞれを書いているのではないかということです。面にはグラデーション、線には擦れという効果が生まれます。書の場合は、線を重ねて書くということはしませんので、中野先生のごく薄い墨色を使用した手先の動き、それにより創造されていく造形を、間近で拝見させて頂き新鮮でした。

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_3

ただし、墨というものが、自分の意志の通りにコントロール出来るものではないということは、いずれにおいても共通していることです。その時の温度や湿度にも影響を受けますし、自分の手加減の僅かな違いによっても墨の表れ方は変化します。だからこそ深遠で幽玄な表現性を獲得出来るということがあります。

そのことについて、中野先生も次のように述べられています。「 思がまま動かせない墨、墨を水に任せる、想定した結果が異なるものへと変貌する、その一瞬の緊張感と自分の感覚が織りなす無限の空間が大きな期待感を生み出すのです 」(心眼で観る時空/中野嘉之作品集 序文)。

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_4

 

翰墨の縁を結ぶ

今回の制作は、先ず中野先生が五羽の「鶴」をお書きになりました。そこに私のフィーリングで文字を揮毫していくわけですが、私が題材にしたのは次の和歌です。

若浦尓 塩滿来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

この歌は万葉集の一首で、山部赤人が、聖武天皇行幸の時にお供して読んだとされています。鶴は今の日本では北海道くらいでしか見ることが出来ませんが、当時は日本のあちらこちらで見ることが出来ました。
また一説には、この歌は、先に述べた俵屋宗達が本阿弥光悦と合作した、かの「鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん)」のモチーフにしていたとも言われています。

万葉集は、いわゆる「男手」と呼ばれる万葉仮名の“楷書体”、あるいは“行書体”で記されていたはずです。今回は敢えて、万葉仮名を“行草”で書いてみました。

それは漢字作家としての私の感性に、万葉仮名の“草書体”である草仮名をさらに崩して編み出した「女手(平仮名)」を使っていた女性の感性をブレンドしてみようと思ったからです。

単に過去の模倣をするのではなく、現代に立脚した書家の作品ということになるのではないかと。

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_6

 

そして、今回は私自身にとっても、島尾先生が言われる通り「翰墨の縁を結ぶ」良い機会を頂きました。

◇日本の美しい文字プロジェクト vol.12 熊野_7

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