どんな人にも、心奥に潜ませている苦しみや辛さがあると思うけれど、昨今の世の中は本当に息苦しい。
私は書家という仕事柄、いつも「言葉」と隣り合わせで暮らしている。
おおむねそれは、書の題材として古い文献から探し当てる作業で、和歌でも、物語でも、故事でも、そこには〝心を通した〟言葉がある。
一方で、ChatGPTをはじめ、デジタル社会に溢れている言葉は、人間らしさや真実を隠してしまう・・・
現代のようにSNSなど無いけれど、いにしえの人たちは、今よりずっと一つひとつの言葉を大切にして、言葉に宿るという霊性までも信じていた。
やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞ なれりける
世の中にある人 ことわざ繁きものなれば 心に思ふことを 見るもの聞くものにつけて 言ひ出せるなり
花に鳴く鶯 水に住む蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を詠まざりける 『古今和歌集』
これは千年以上前に生きた、紀貫之によって記された言葉。
彼らが遺してきた、時代の風や人生の哀楽、現実と裏腹な夢や想像を丁寧に綴ったその言葉に触れるにつけ、たとえそれが「きれいごと」であったとしても、人が美しい言葉を無くすことは、人としての情操を失っていることだと気づかせてくれる。
そうなってしまうのは、きっと外にではなく、閉ざされた自分の心の内にあるのではないかと思う。