書は言葉と向き合うから書になる。
絵ではないから、何を書くのか、古と今を重ね合わせながら、普遍的な問いにも向き合っている。
「目に見える世界が、すべてだろうか」
「聞こえてくる言葉は、真実だろうか」
先日、実家から葡萄農園の「ぶどう」を送ってもらった。
巨峰、藤稔、ダークリッチ、ベビーフィンガー、親子ぶどう・・・
種類の多さにも驚きながら、その葡萄に真実を物語る、思わぬ言葉が添えられていた。
無農薬、有機栽培されたという案内書には、イラストとともに次のように記されている。
「農作物は作るものではなく育てるのよネ」