共感という連帯感

ごく最近まで「推し活」という言葉が、今ひとつ私の中でピンときていなかった。この言葉に触れた当初、それは好みのアイドルやタレントを応援するといった意味合いで使われていたような気がする。
ひと昔前、芸能の分野では、歌にしても演技にしても圧巻の技芸、あるいは演者が放つ圧倒的な存在感に、観客は〝憧れ〟を抱き、演者とはいい意味で近寄りがたい距離感があったと思う。

この「推し活」という行動心理。
最近は、もう少し広い意味で使用されている。
それは東京都知事選での〝石丸現象〟と呼ばれた事象、現在真っ只中にある兵庫県知事選挙の有権者の動向を見ていて思う。
「YouTube」や「X」といったソーシャルメディア上で、まさに立候補者への「推し活」が見てとれる。
これまでの、立候補者と立候補者が争い、勝者が社会的な権限を獲得するという構図から、一般の有権者一人ひとりが、連帯感によって自分たちで社会を取り戻そうといううねり。

SNSという爆発的な拡散力が世の中を変える力を持ちつつあり、誰もがその発信者になり得る個の時代。
与えられた〝流行〟を盲目的に追い求めていた時代は終わり、自らの意思を持った個と個が〝共感〟に歓びを見出そうとしている、そんな時代なのかもしれない。

心の眼

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