記憶の入口


三輪山に咲くササユリ/photo by nanaco

先日1月14日は、三島由紀夫の生誕100年の日だった。
さぞ盛り上がるのだろうと気になっていたけれど、特にそういった気運は見受けられなかった・・・。
生まれた日より、亡くなった日の方が、あまりに鮮烈だったからだろうか。没後50周年は、5年前の2020年だった。

私の中で三島に関わる思い出は、いくつかあるので、少し長くなるかもしれないけれど記してみたい。
一番最初は、高校3年の夏休み。『真夏の死』という短編小説を読んだこと。
最後の1行があまりに衝撃的で、そのとき自分の頭の中で思い描いたラストシーンは今でも忘れられない。

ワーナーブラザーズの映画『☞MISHIMA:A Life in Four Chapters』も秀逸だった。
当時(昭和60年)日本ではわけあって公開されなかった。ただ、この作品はカンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞している。
もうずいぶん前になるけれど、ビデオレンタル店で〝英語〟の字幕入りを借りて、観たことがある。
三島の人生、特に最後の一日をドキュメント的に追いながら、彼が遺した小説『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬(ほんば/『豊饒(ほうじょう)の海』第二巻)が劇中劇としてインサートされるという、とても凝った作りで、小説では炎上する金閣寺が真っ二つに割れて描かれるなど、☞石岡瑛子さんの前衛的な美術も圧巻だった。

遺作となった『豊饒の海』は、記憶の連鎖による輪廻転生がテーマとなっていることから、本人はひそかにそんな自覚をもって書いていたのかもしれない。
執筆の取材で三島が大神(おおみわ)神社を訪れたときのエピソードが、☞5年前の朝日新聞の記事で掲載されている。
私も大神神社へ日経のWEB媒体の取材で訪ねたことがあったが、その時、案内してくださったのが権禰宜(ごんねぎ)の山田さんだった。先の記事では、まだ若かりし頃の山田さんが、取材に訪れた三島に対応している様子もうかがえる写真があり、感慨深い。
三島が三輪山のササユリを、他の大荷物と一緒に大事に持ち帰ったというご尊父の思い出話も印象的。

そういえば、新橋にある「☞末げん」という鳥料理のお店にも、一度食事で伺ったことがあった。
ここはいわゆる楯の会のメンバーと三島が最後の晩餐を行ったお店として知られている。
三島は、戦後の憂き世に沸き上がる疑問を抱きながら、全身全霊で生きていた。
それは、かつて日本人の深層には、通徹した美へのこだわりと熱量があったことを物語ってもいる。

ネットで調べたところ、そのお店は今も健在で、うれしくなった。
平成が過ぎ去り、令和に入って、2度目の万博も開催されるけれど、私は昭和の面影が愛おしい。
懐古主義といわれることは承知のうえで、あえていえば、映画も音楽も、洋服も、車も、今より潔く、カッコ良くて、上等だったと感じてしまうのは、私の思い込みだけだろうか。

新年のご挨拶

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