モノへの愛着

最近、食洗機で食器を洗うことに抵抗を感じている人が見受けられるという☞トピックスを読んだ。
なんでも、「家事の手抜きと思われたくない」というのが、その理由らしい・・・

その理由は別として、私も食器は手洗いする。
朝昼晩の3回、あとは細々と1~2回といった具合で、考えてみたら、その時間だけでも24時間のうち1時間弱は、日々費やしている。
確かに食洗機を使用することに比べて、時間をロスしているのかもしれない。
正直、洗い場を眺めながら、面倒に思うこともある。でもそれは、誰だってそうなのではないだろうか。
だから私は、その時間を〝音楽を聴く時間〟と決めていて、好きなCDをかけながら行うようにしている。これだけでも、ずいぶん気分は軽くなる。

それから洗剤とスポンジも、少し工夫している。
スポンジは食器専用のものではなく、繊細な身体を洗う柔らかいものを使っていて、洗剤については、ここでは銘柄は伏せるけれど、4.5リットル入りの業務用の洗剤を、純正のポンプを取り付け、その容器ごと洗い場に置いて使用している。
業務用の為か、1回の洗剤の量も少量で済み、泡切れもとても良くて、気に入っている。

そもそも仕事柄、家での作業も多く、家の中のあれこれが常に目に入り、気になってしまうから、日常の家事は出来る限り合理的に行いたいと、日々改善を試みている。
なので、私的には家事の手抜き自体が悪いことだとは思っていない。

食洗機を使わないという選択は、おそらく今まで集めてきた1枚、1枚のお皿、思い出をもった1つ、1つのグラスやカップたちが、愛おしいからだと思う。
たとえ水道代、ガス代、電気代が安くなるとしても、大切なものが破損してしまうのではないかという不安の方が大きいし、洗剤も〝強力洗浄〟とうたわれているだけで、気が引けてしまう。
それは洋服も同じで、乾燥機は使用しない。

ただ、不思議なもので、経年による自然にできた痛み、傷、欠けなどは、むしろ喜んで受け入れられている。
寝床の目覚まし時計も、使って20年ほど経ち、既に音が鳴らなくなって久しい。
音が鳴らない目覚まし時計は、起床の役には立っていないけれど、木肌のはげ具合がとてもいい味を出していて、長年の良き相棒となっている。

いずれにしても、身の回りにあるものはすべて自分が納得して購入しているものだから、自分にとってはかけがえのないもの、ということなのだと思う。

成り・合う

〝阿〟の意味

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