サイトアイコン 書家/書道家 木下真理子

清らかなるもの

学校で「手洗い」の大切さを学んだ経験は誰にでもある。今は科学的な分析によって原因菌の存在が明らかとなり、除去する有効な対処法も見出されている。ただそれにも関わらず、必要以上に手を洗ったり、消毒液を吹きかけたりする、いわゆる「潔癖症」と呼ばれる人も少なくない。

私などは仕事柄、書作している時は、墨で手が汚れても特に気にしないのだが、白い紙に向かい、これから書作しようという時には、一種の心の儀式として、手を洗う。神経質と言われればそれまでだが、心が汚濁しているかどうか、といったことと同じように捉えてしまう。

日本には古来、「穢(けが)れ」と「禊(みそぎ)」という思想がある。穢れとは、「気枯れ」とも表していた。日本最古の歴史書である『古事記』には、「穢れ」を祓(はら)うための「禊」のシーンが描かれている。

神社では今でも、手水舎(ちょうずや)で手や口を清めてから、神聖な境内に入る。「手を洗う」ということの背景には、日本人の慎ましくて清らかなものを求める心があるのではないだろうか。

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