■短期集中連載「台北 國立故宮博物院」展■
第三話 開催への道程
一般的には、文物の量では北京故宮博物院が勝り、質的には台北 國立故宮博物院が勝っていると言われています。台北 國立故宮博物院はアメリカのメトロポリタン美術館、フランスのルーブル美術館、ロシアのエルミタージュ美術館と並び四大美術館の一つと称されています。
ただ、他の美術館とは異なるのは、単一民族によるコレクションによって構成されているということです。その文物が、この日本において初めて披露されるということは、やはりとても大きな出来事であり、故 平山郁夫画伯をはじめ、実現するまでに多くの人々の尽力があったことは言うまでもありません。日本政府もこの展覧会を実現するため、2011年に「海外美術品等公開促進法」という法律を制定したほどです。
ところで。中華人民共和国と中華民国において、国父(国家の父)と呼ばれている孫文と、彼の後を継いだ蒋介石のそれぞれが、実は日本に亡命、留学したことがあり、日本人から多大な支援を受けていたということはあまり知られていません。孫文においては、犬養毅から、2千平方メートルの邸宅を斡旋してもらい、梅屋庄吉(日比谷公園内にあるレストラン「松本楼」は彼の旧居)からは、今の金額で1兆円にものぼる資金援助を受けたそうです。孫文が組織化した中国国民党の母体となった中国同盟会も、宮崎滔天(みやざきとうてん)ら日本人の“個人”的なサポートがあったとされています。また、蒋介石は日本の陸軍士官学校で学んでいた経歴があります。
二人とも生涯日本人から受けた恩と友情を忘れることがなかったと言われています。
写真:梅屋庄吉と孫文 講談社刊
第三話「開催への道程」