画禅至随筆

 善 日経ビジネス

 

Ⅰ.創作の理論と実践

「本質」を理解する必要性

ここでは創作における理論と実践について考察していきます。

デジタル偏重にある現代において、《変容する書の実態と概念》に向かい合う中で、書道文化、継承されるべき書の観点と美点を精査する必要性があると感じています。

書道に興味を持たれている方々に、書道の本質についてご理解頂く一助となればと思っています。

 

Ⅱ.創作の定義

「能動的な創作」と「受動的な創作」

書の創作は、「自己の欲求における創作(能動的な創作)」と「外部からの依頼による創作(受動的な創作)」の2つに大別されます。

書作には「臨書」という“書き写し”もありますが、純粋な創作とは区別して、これについては別の機会に述べたいと思います。

 

Ⅲ.能動的な創作

「書き表したい」欲求を達成させる

能動的な創作は、自己裁量で行うという点において自由度が高いものであると言えます。

気の趣くままに書くものから、先人たちによって培われてきた流儀の上に個を確立させて書くものまであります。

他の芸術との一番の相違点としては、文字を題材にするということが挙げられます。何かしらの心打たれた言葉や文章との出会い、あるいは目前の外的な事象からインスピレーションを受けて、それを書にしたいという欲求が沸き起こりますが、これを達成することに、書道の愉しみはあると言っても過言ではありません。

また書は人間の内面が表出するものですが、書道技術や造形感覚を古典から習得することで、より緻密な作品の創作が出来るようになります。

 

「どのようにしたらよいのか」創作の実践

それでは実際に書の創作とは、どのように行われるのかということについて、その過程を辿ってみます。

具体的には、まず作品サイズ・道具(※筆墨硯紙)・文言の題材を決めます。次に紙面に対する文字の配置(全体の構成、余白のとり方)や字形(※漢字の場合は、楷書、行書、草書、隷書、篆書などの書体)を決め、点画の配置(字中の構成、余白のとり方)を考えて、「草稿」を組み立てます。どんな書にしたいのか、明確な指針をあらかじめ持つことが大切です。

そして墨(濃度や量)による滲みや掠れといった線質、運筆によって生じる抑揚やリズム感も意識に置いて、その実現のために様々な用筆(技法)を模索し、書いていきます。
ただ、書き手の思い描く作品は一度の書作で完成することはまずありませんので、失敗を重ねながら書き続ける根気、様々な角度から客観的にモノを見る判断力が必要となります。

※馴染みのない書体は「字書」というもので調べます

※筆、墨、硯、紙は種類によって書の仕上がりが変わります

 

Ⅳ.受動的な創作

「決められた主題」における創作

ここでは受動的な創作について述べたいと思います。これは外部からの依頼に応じて制作される書を指します。

完全に書き手に任せられるということもありますが、通常、商業的な広告や商品パッケージ、映像作品などで使用される題字、建築空間に展示される書などは、依頼者の希望や目的などの要求があります。中でもメディアで掲出される書については、意味の伝達という目的が第一義としてあり、可読性が求められます。

そのように依頼者から与えられる主題を汲み取りながら、それと釣り合うような書体、書風、構成などを統合して、自分が持ち得る技量を全開にして創作を行います。

 

「共同制作」という側面

また創作の実務面において、書が単体ではなく、デザイン要素の一つとして構成される場合には、モノクロ反転されたり、縦書きが横書きに組み直されたり、1行が2行に分断されたりすることも起こりえますので、そうしたシミュレーションを書く側もしておく必要があります。

さらにデジタルデータ化される際に、2015年現在のテクノロジーでは、書の実物の風合いやディテールまで忠実に再現されるということはまずありませんので、そのことも留意しつつ、書き手は書の最終的な見栄えを請け負わなければなりません。

 

Ⅴ.書の創作活動

「究極的な創作」とは

書は「制限なき自由と手軽さ」という特性がある一方で、上記のようなポイントを複合的に理解しながら、いざ書く時には、明確な判断を一発勝負で表すという厳しさも持っています。

それを難しいものとしないためには、日頃からの技と美意識の鍛錬がものを言うのですが、究極的な到達点としては、その鍛錬の上に〈諸法無我〉の境地を得て、技を意識することからも脱却した「率意の書」こそが、もっとも高度な創作であるということも最後に付け加えておきます。

 

 

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