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古事記編纂1300年にあたり、国生み伝説の一節を題材に
古事記の魅力を知ってもらう
♦ 古事記と日本書紀の相違点
日本最古の歴史書である“古事記”(712年)。日本書紀(720年)とともに奈良時代に編纂され、二つあわせて“記紀”と呼ばれています。その相違点については、作られた目的にあります。日本書紀は中国の史書のように「国家史」を日本でも作ろうとした国家事業であったことに対し、古事記は歴代の天皇が日本を統治していく、その正当性を示すために「天皇家の歴史」を記すものとして作られたとされています。日本書紀には当時からみてまだ新しい時代について記されている部分が多く、古事記は神話である神代に重きが置かれています。
♦ 古事記は日本語表記の原型
またその記述方式にも大きな違いがあります。ともに全て“漢字”で記されていますが、日本書紀は“漢文”で書かれており、古事記は“大和言葉”(倭語)で書かれています。それは古事記がそれまで口伝により伝えられてきた物語をそのまま、中国から入ってきた漢字を当て字として使用しながら記されたものだからです。天武天皇の勅命により太 安万侶(おおの やすまろ)により“古事記”は編纂されますが、その天武天皇(及び妻の持統天皇)は「日本」という国号、天皇制、体系的な律令法の制定などに取り組んだ重要人物です。
さて、古事記が編纂されてからちょうど1300年という記念すべき年に、古事記の中の「国生み伝説」において、日本で最初に誕生したと記されている“淡路島”よりお招き頂き、『ウエスティン淡路』で行われたイベントに参加させて頂きました。
そして“淡路島”のこととして表記されている“淡道之穂之狹別島”という文字を揮毫させて頂きました。
♦ 日本のルーツ、淡路島
続いて揮毫した後に、「国生み伝説」の一節について説明させて頂きました。下の写真の向かって右側の作品が古事記の原文を書いたもので、これは先に述べたように、一見すると漢文(中国語)のように見えますが、れっきとした日本語です。仮名文字が生まれる前の日本語、つまり日本語表記の原型はこのような形態をしていました。
〈伊邪那岐命のほうから先に、何とまあ、美しい娘だろう、と唱え、その後、伊邪那美命が、何とまあ、すばらしい男性でしょう、と唱えました。このように唱え終わって結婚され、その間に生まれた最初の子が、淡道之穂之狹別島(淡路島)でした〉といったことが書かれているのですが、この一節が〈淡路島が日本で最初に誕生した〉と記されている部分です。
♦ 書への祈念
会場で揮毫した書は、古事記の一節を書いた書とともに、後日、“伊弉諾神宮”に奉納されるとのことでした。
伊弉諾(いざなぎ)神宮は、国生みの大業を果たされた伊弉諾(いざなぎ)の神と伊弉冉(いざなみ)の神をお祀りしている神社で、古事記と日本書紀の神代編に、創祀の記載がある日本最古の神社です。
そこで、会場にお越しの皆さんに、良縁、子孫繁栄、五穀豊穣など、それぞれの願いを込めて、一同で、「書に祈念」して頂きました。
CONCEPTⅡ>>
古事記の国生み伝説の一節を題材にした書を
伊弉諾神宮に奉納
伊弉諾神宮 本名孝至宮司
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