もうひとつの現実

友人が被災地である気仙沼に行ってきた話を聞かせてくれました。東北新幹線で福島、仙台、一ノ関と進み、一ノ関からレンタカーを借りて国道で気仙沼まで行ったそうです。東北地方の全てを見てこられたわけではないので、地域は限られていますが、メディアの情報だけでは分からないことが少し分かった気がします。

メディア通しの情報では、あたかも東北地方の全てが震災で立ちゆかなくなっている、福島県というだけで全てが放射能で汚染されている、そんなイメージを持ってしまいがちなのですが、海側ではなく内陸の地域は既に日常の営みをしているところも多いようで、また福島県も福島駅から見えたのは思っていた以上に正常な人々の暮らしぶりだったとのことでした。それこそ、パチンコ店も盛況だったようです。被災地はけして楽観的ではないものの、絶望で埋め尽くされているわけでもなく。

友人は気仙沼湾の近くに住む知り合いの方を訪ねたそうです。海側はそれこそTVで見ている10倍は凄くて、現実感がまったく無くなってしまったと言っていました。でも復旧作業は着実に進んでいて、被災地の人たちの精神力に、本当に敬服したそうです。ただ、こちらから、むやみに被災地を見舞いに訪ねる(メディアの避難所などへの取材もですが)ということが、被災地の人にとっては、なかなか気が休まらない、落ち着かないといったこともあるようです。

TVからは、このような被災された人々の複雑な心模様は伝えられるわけもなく、状況は目では見えてもその場所の、それこそ“におい”までを感じとることはできません。煽られたイメージではなく、在りのままの現実。壮大な未来ヴィジョンではなく、日々の着実。時々、私たちも、視点の置き方や意識も変えることが必要であると思いました。

貴さ、尊さ

花鳥風『月』食

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