先日、実家のある茨城に帰省しました。茨城は、いまだに「いばらぎ」と呼ばれてしまったり、東北圏だと思われている人も多いようですが。
しかし、茨城は「いばらき」であり、関東圏になります!
その私のふるさと、茨城は、江戸時代 には徳川御三家の一つである常陸国(ひたちのくに)水戸藩が治めていました。水戸黄門さまとしてみなさんご存知の徳川光圀は、その2代目藩主ですが、意外に知られていないこととしては、15代将軍 徳川慶喜も、水戸の出身です。慶喜の父、徳川斉昭(なりあき)は9代目藩主であり、大老、井伊直弼と対立して謹慎処分を受け(政治の舞台から降ろされ)、それを不服とした家臣らが、あの有名な「桜田門外の変」を起こして、一気に幕末へと向かってしまうのですが・・・
徳川斉昭の功績としては、高い理想と信念を持ち、いろいろな困難を乗り越えながら、「弘道館(こうどうかん)」という学校を創設したことがあげられます。そしてそこは、儒学や医学、また千葉周作などの剣の達人も招き入れられて、武術が学べるなど、文武両道を修得することができた場所でした。もちろん、慶喜もそこで学んだのですが、冷静沈着、実務能力にも長けた知性派と評される慶喜のバックグラウンドとして、この「弘道館」の存在は大きかったのではないでしょうか。
だいぶ話が長くなってしまいましたが、帰省した際に、「弘道館」を見に行ってきました。ただ・・・、
ここにも震災の爪痕は今なお残っていました。なかなか修復の目処は立っていないようです。理想や希望の前に立ちはだかる現実の壁というものを目の当たりにしてしまったようで、悲しくなりました。茨の道はまだまだ続いています。
さて、今年は徳川慶喜没後100年にあたり、各地で展覧会が行われます。慶喜は書道にも長けていましたので、書の作品も数多く展示されるはずです。現在も「日本橋」に掲げられている、“日本橋”という文字の揮毫も慶喜によるものです。武人の堂々たる風格を持つ慶喜の書は、必見です。