加藤和彦さんのこと

 日本に帰ってきました。ドイツにいた時に、その訃報を聞いたのですが、加藤和彦さんがお亡くなりになられました。とても残念でなりません。なので、ドイツのご報告は次回にさせて頂き、今回は加藤さんについて書かせて頂きます。

もともと私が加藤和彦さんというアーティストを知ったきっかけは、奥様であった故安井かずみさんの本を愛読しはじめてのことでした。当初は音楽家というより、安井さんの旦那様であるということで関心を持ちました。あの審美眼と美意識を持った安井さんが命がけで愛し続けた男性とは、どんな人なのだろうかと。そして、洗練という言葉がこんなに似合う人がいるのかというくらい、素敵な大人の男性が加藤和彦さんでした。

その後、彼の作品を中古レコードで買いました。私はフォーククルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドのことは詳しくないのですが、安井さんとの共作であるソロアルバムの何枚かはよく聴き、今でもたまにターンテーブルに乗せることがあります。それは彼の才能と情熱とお金!が目一杯つぎ込まれて作られた、とても贅沢で、特級の作品です。安井さんの詩が絵画のようで、加藤さんの作り出す気高い調べが絡み合うと、優美でデカダンな映画のような世界となって広がりをみせます。

私が持っている中では、『VENEZIA』というアルバムに入っているA面2曲目の“ハリーズBAR”という曲が特に好きです。またラジオのパーソナリティや雑誌のエッセイなどのお仕事もされていて、その都度、とても為になることを語っていられたのですが、今回亡くなられたことに繋がっているような印象を受けた彼の言葉があり、それをご紹介させて頂きます。それは彼が、真の芸術家であるということの証しともいえる発言です。

一つは、最近の新聞の生前最後と言われていますインタビューでのお話。作曲について、「89点から92、93点くらいの曲ならすぐできる。でも、120点じゃないとまずい」・・・

もう一つは以前、J-WAVEで放送されていた『丸の内スタイリッシュカフェ』という番組の最終回で、「TOKYO LIFE」というテーマでおおよそですが、次のようなことを語っていらっしゃいました。「東京という街は、仕事に限らず、食べることも、遊ぶことも、すべてを外でまかなえる。だから家には寝に帰えるだけでいいし、BEDだけあればいい。それが東京でのライフスタイルとしてふさわしいのではないか」と。・・・

加藤さんから教わったこと、美学はたくさんあります。心からご冥福をお祈り致します。

加藤和彦さんのこと_1加藤和彦さんのこと_2

ふたりなら何処にいても人生になる ふたりなら何をしても人生になる

ドイツ フランクフルト

『野ばら』揮毫 in フランクフルト

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