清純という名の幻想

先日、あまりに暑かったので、急に思い立って、温泉へ行ってきました。普通、夏は海水浴なのかもしれませんが・・・。温泉で身体いっぱいに滲んだ汗を一気に流すと、あたかも自分が生まれ変わったかのような、すっきりとした気分になりました。また露天風呂につかりながら、日差しを遮る木陰でそよそよと風を受けていると、これもまたすっかり日々の出来事から解放されるような、“ゼロ”に戻っていく感じがしました。

いささか話は飛躍してしまいますが、日々の生活や人生の中で人は、様々な経験、知恵、教養などを身につけていく反面、虚飾や偽善、邪心などにまみれて、“自分はいつのまにか汚れてしまったのではないか”そういった意識や罪悪感などを持ってしまうことが、みなさんはありませんか。「小さい頃は無垢だったのに」「昔は清純だったのに」という言い方もよく耳にしますよね。

さて、温泉帰りに一冊の本を購入しました。それは瀬戸内寂聴さんの訳、横尾忠則さんの絵による「絵解き般若心経」(朝日出版社)という書籍です。その中の四章目にこう書かれていました。

舎利子 是諸法空相 不生不滅

不垢不浄 不増不滅

(意味)

この世のあらゆる現象は 人の心の描き出す幻です。生まれず滅びず、けがれてもいなく、清らかでもないのです。増えもしないし、減りもしません。

世の中は全て空であるのだから、心のとらわれを捨てなさいという教えだそうです。思う側、思われる側のそれぞれがそもそも、“思い込む”ということを捨てされたなら、それが現世を“楽”に生きていく秘訣かもしれません。