割り切れないもの

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先日、しばらく連絡を取り合っていなかった友人から久し振りに電話をもらいました。“連絡が無いのは良い知らせ“と言いますが、その友人は最近、会社で重要なポストに任命されたようです。ただ、新規事業を立ち上げるとのことで、いろいろと迷っているので相談にのって欲しいということでした。

もし、その会社が分かり易くて、万人向けの企画による新規事業を展開されるということでしたら、私は助言出来る立場にありません。何故なら、私は社会生活の中でのバランス感覚というものを持ち合わせていないと思うからです。

例えとしては少し違うかもしれませんが、今度行われようとしている民主党の代表選について。どうして、二択の中で選ぶのかと思ってしまいます。単に立候補した人だけで選ぶというより、投票権のある人それぞれが、望ましいと思う議員の名前を自由に書いて投票して、一番多くの支持を集めた人に託せばいいのではないかと思ってしまいます。

政治家になる方は、みなこの国をなんとかしたいと思っているはずなので、特に立候補ということにこだわる必要はないと思います。それより、選択の方法に工夫もなく、選択肢に幅もないままに、いずれかを選択して、それが自分の意志であると、なんとか自分を納得させようとする、これを“割り切る”というのかもしれませんが、私はこの、“ことなかれ”的な考え方が好きではありません。

生きていくことは選択の連続であるということは真理だと思いますし、妥協しなければならない局面も時にはあるかもしれません。でも、はじめから単純さ、あるいは平均値を求めて割り切ろうとするのではなく、綺麗に割り切ることが出来ないものに、つい価値を見出そうとしてしまうのです。

かつて日本文化は、奇数を陽数(偶数を陰数)として好んでいました。例えば“3”という数字に“げん”をかついでいたり(万歳や掛け声を三回言うことなど)、日本人のDNAには本来そのような感性が残っていると思うのですが・・・。

そう言えば私は、真っ二つに分かれる西洋的シンメトリーな美もあまり惹かれることがありませんが、それも関係があるのでしょうか。いずれにせよ、割り切ろうとせず、抗い、ついつい偏ってしまう私です。

残暑お見舞い申し上げます

時の“形”

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