権勢の残像

毎年秋に奈良国立博物館にて開催される「正倉院展」。今年は天皇皇后両陛下の傘寿記念として、例年より長い20日間の日程で開催されていた。それでも12日までとなる。毎年出陳される宝物は違うが、今年の見どころの一つは「東大寺封戸処分勅書 (とうだいじふこしょぶんちょくしょ)」。この書については、読売新聞からもコメントを求められた。書いたのは、孝謙天皇(父:聖武天皇 母:藤原氏出身の光明皇后)と対立し乱を起こした、藤原仲麻呂である。

藤原仲麻呂は、子供の頃から聡敏で知られていたという。ただ出世コースを歩み始めたのは遅く、29歳になってから。40代で一気に政治のトップに昇りつめた。その背景には、叔母であった光明皇后の後ろ盾があったとされている。叔母と甥という関係であったにせよ、二人の年齢差は5歳ほどしか違わなかったことから、そこにはただならぬ関係もあったのではないかという学者もいるが、その真相は定かではない。

書家の立場から仲麻呂の書を観察し、その人柄を見てみたい。楷書というもともと右上がりの書体ではあるが、その筆致はいっそう強く右上がりとなっている。その一方で、行間などのバランスは意識されており、おそらく、自己主張が強くて荒々しい面と、巧みに人心を掌握する資質を持ち合わせていたのではないかと推察される。

奈良時代の日本は、中国・唐の文化的影響を強く受けていた。書も“習字”という側面のみならず、文献の中身を習得し“人格形成”を担う為の学問、教養の一つとして大切なものだった。“字は人なり”といわれる所以がそこにある。

聖武天皇や光明皇后が仏教を深く信仰し、書聖 王羲之等に心酔して格調高い書に倣ったことと比べ、仲麻呂の書は、人間力を高めるというより、どうしても権力を誇示するためのものと見えてしまう。

「東大寺封戸処分勅書」は、勅書(天皇の命を下す書)を仲麻呂自らが書き、押印までしてしまったもの。当人は、まさか一千年以上も経ってもなお書が残るものとは思っていなかったのかもしれないが、仲麻呂の独裁者ぶりを物語るものとして、私たちはそれを目にする。

正倉院展:11月12日まで 奈良国立博物館

権勢の残像

曲水の宴

秋深し

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