AIはどこまで人間に成り得るか

遅ればせながら、『ブレードランナー 2049』を観に行く。

それにしても、本当に圧巻の3時間だった。普通のエンターテインメントの映画と比べれば単純明快ではないけれど、映像美、音楽、俳優、思想、全てが完璧で、分かりにくいところはところで、新たな興味を誘発する。

フィリップ・K・ディックによる原作のタイトルは、確か『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だったと思う。この作品ではアンドロイドが見る夢、抱く幻想は人間と変わらない。そして、アンドロイドにも感情がある。

最近はAIの技術進歩が盛んにニュースで取り上げられている。
でも、現時点で、人間は“脳”と“心”と“意識”の関係をどこまで理解しているのだろう。ここが解明されないままに、テクノロジーだけが先行すると、その行く末は、映画のように大変なことになるのではないかという気もする。
映画では、大停電によって全てのデータは消去されてしまい、残された記録は皮肉にも紙によるものだったという設定がされていた。

人間がアンドロイドより秀でているとしたら、物事を捉える時に“奥行き”までを感じられる能力ではないかと、書家の私は思いたい。人間の記憶の方が、コンピューターのデータより、きっと奥行きがあるはず。

Panasonic 4KTV用の書「成」(木下真理子)

私の中のわたし

喜微にふれる

関連記事

  1. 過ぎゆく2020年

    2020.12.30
  2. 光たちのささやき

    2018.12.25
  3. 冬籠り

    2016.01.12
  4. 2015.02.08
  5. 開催への道程

    2014.07.01
  6. 清らかなるもの

    2014.10.22
PAGE TOP