淡路島の方から頂いたお話

3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震。

私自身、実家が茨城にあり、家族の話によると10日経った今でもガスや水道は通らない(電気は3日前に回復)状況のようです。また、たくさんの思い出がある通学路が、一瞬にして陥没してしまった・・・とも聞きました。

そんな状況ではありましたが、私は3月19日に行われた、淡路島のイベントに参加させて頂きました。その内容につきましては改めてご報告させて頂きます。

くしくも、淡路島は16年前の阪神淡路大震災の被災地です。

私としては、淡路島の方々に16年前の経験をお話し頂き、今被災にあわれています東北の方々への支援の参考にさせて頂けないかと思いました。

 

Q震災に遭われた時、不安はどのような感じしたか

地震が起こったのは早朝だったんですが、夜になって避難所に移動して寝ていると、また朝になって悲惨な世界が来るということが信じられないんです。受け入れられない。茫然自失で。だから、泣く人もいなければ、怒る人もいないんです。子供より大人の方が、生まれ育った町がああいうふうに破壊された時に、そこにはいろいろな思い出があったり、蓄積があったわけじゃないですか。それが崩れていくということは、すごくダメージが大きかったと思います。

ただ、不安を感じる間もないくらい、目の前で家がつぶれていて、つぶれた家の下には人がいるので、なんとかしなければという感じでした。それで、夜になって静かになった時に、疲れ果てて眠るんですけど、眠った途端にそういったことは消えるんですよね。でも、朝になって思い出すんです。あ、こんなことがあったんだと・・・。

 

Q具体的に困ったことはどういったことでしたか

まず身の上に何が起こったのかが正確に把握出来ない。災害が起こった途端に情報が途絶えたので。私はその時、加古川に住んでいたんです。テレビはつきましたが、神戸の情報がまったく入ってこない。父親と母親が神戸にいましたが、その様子がわからない。後から聞くと、その両親も何が起こったかわからない、わからないままタンスの下敷きになっていた、という状況でした。家屋がつぶれるくらいの地震というのは、備えていても、実際には動けなくなってしまうという現実もあると思います。

また生きていく上で無いと困るというのは、やっぱり水と食料。それがあれば逆に何とかなるという部分はあります。ただ、パンやお菓子は喉が乾いてしまので、米だと思います。当時は、若い人たちが集まって来てくれて、炊き出しをしておにぎりを届けてくれました。

それと、やっぱりトイレは困りました。水がなかなか通じなかったので。食べることと同時に排泄することを考えることも、人間が生活を営む上での根幹であると実感しました。なので、井戸水がある場所は、割合早く復旧できたということあるかもしれません。

 

Q今回の震災と比べてみてどうでしたでしょうか

阪神淡路大震災の場合は、被災範囲が今考えれば狭かったと思います。当時は、すごい広域だと思ったんですが、考えれば神戸市でも六甲山の裏側とか行くと、ほとんど被害はなかったので。本当に明石海峡を挟んで淡路島と神戸と宝塚くらいまでですかね。全部合わせても100キロくらいのところに集中しての被害であったということ、津波もなかったですから。

あと、その場で家屋などがつぶれるという状態で、自分の家がどこにあるかということは分かりました。津波で家ごとさらわれてしまうと、その確認も困難を極めるのではないでしょうか。道路が完全に使用不能ということもありませんでした。阪神淡路の時というのは、被災は都市が中心で、その周りが生きていて、支援が得られやすくて助けられました。今回の地震というのは、その一帯を破壊してしまっていますよね・・・。

報道を見ていると、食べ物も水も不足しています。命を繋ぐものが最優先されるべきですが、一週間経っても、まだ避難場所がどこにあるかわからないとか、そういうことを考えると想像がつかないくらいの話なんですよね。比較にならないほど、大きく深刻だと思います。

 

Q復興の過程で、経験したことを教えてください。

国は、物理的に復興するということでしか、なかなか支援できないだろうし、そこを求めていくしかないのかなと思います。心のケアはしてもらえないということはよく言われていました。まずは人の命を救う、食糧を供給するということで必死だったということです。

ただ、若い人たちがボランティアでどんどん入って来てくれて、そういうのは安心に繋がったと思うんです。ずいぶん若い人たちに助けてもらったということは言えます。ところが、仮設住宅に入っていく際に、お年寄りを優先したことで、お年寄りだけの一帯が出来てしまい、それによって孤独死が問題となったということがあります。ですから、今回は若い人たちとお年寄りの繋がりを持たせるというのが大切だと思います。

16年経って、意外と早く復興できたのかなという思いがありますけど、その当初は、元に戻らないのではないかと。こんなことになってしまっては、あの美しい神戸の街や淡路島が蘇るというのはとても想像ができなかったです。当初は、どうなるんだろう、どうなるんだろうって・・・。それが3年、5年、10年となるうちに、やっぱり前を向いてやっていくしかないかなと思うんですよ。

その過程では、音楽でも何でもそうなんですけれど、心にも糧が必要なんだと思いました。関西の人は気質として、素直に気持ちを表現するということがあるから、間違いなく人と人とが繋がって、それが一番の心の糧になっていたということはありますね。

 

取材:木下真理子