先日、大根堀りを体験する機会がありました。太陽の下で土いじりをしていると心地良くなるのは何故でしょう。都会の暮らしは、キツイ・キタナイ・キビシイことを避けることにより、快適さを追求しているところがあります。でも、疲弊している人が多いのは何故でしょう・・・
先週ご紹介させて頂いた川上未映子さんの本に「境目が気になって」というお話が書いてありました。例えばお皿の上に載った美味しそうな料理も、一度、床などに落ちれば、それは“ごみ”という認識をされてしまう。味は変わらぬ、同じ料理のはずなのにです。料理とごみという境界線を勝手に持ってしまうわけです。
自然も対象化すれば、それはキツイ・キタナイ(例えば泥にまみれて)・キビシイとなってしまいますが、自然と人間の境目を無くして、我々は自然と一体であるという考えに立てば、キツイ・キタナイ・キビシイことは当たり前のこととなり、心も解放的になって、そこに心地良さが生まれるのではないでしょうか。
「お天道様は見ている」という表現がありますが、太陽の視点で見たら、生き物はみな平等(対等)であり、人間も自然界の一部でしかないということに気付きます。やはり自らの力を過信することなく、常に生かされている存在であるという謙虚さを忘れてはいけないということなのかもしれません。