ここ最近、自然の大災害が続いています・・・歴史を遡っても、社会情勢の不安定さと自然災害は一緒に起こることが多いようです。政治家の方たちにも、中枢にいて、この国を司って頂けてるという気がしません。
太古の時代は神聖な亀甲に熱を加え、それによって生じたヒビ割れの形によって、狩猟や祭祀の可否、あるいは降雨・災害・収穫の有無など、多様な事柄について占い、政を行っていましたが、こちらの方が理にかなっていると思ってしまいます。実は私たちが使用している文字の原点もここにあるのですが。
ところで、五木寛之さんのエッセイに、天災は忘れた頃にやってくるなら、忘れなければ来ないのではないか、それを試してみる必要はある、と書かれていました。 “思う”とは、“祈る”ということに通じることかもしれません。占うこととともに、祈るということも日常的に大切にしていたことを、今の時代に生きている私たちは忘れてしまっている、これは警鐘なのではないでしょうか。