漢字の秘密③古代日本編

漢字の秘密③古代日本編

日本における漢字伝来の時期を想定する上で、日本(倭)と中国(漢)との交流を示す、有名な「金印(漢委奴國王印)」がある。中国の書物『後漢書』の中の東夷伝という部分の記載によれば、紀元57年に日本(倭)に贈られたものとされる。つまり日本では弥生時代には漢字が存在していたということにはなる。また古墳の遺跡からは、漢字が記された中国(漢)の銅銭も見つかっている。ただ、どれだけの日本人がそれを“文字”として認識していたのだろうか。

その後、仏教が伝来し、国家的な事業として経典を書写することが行われるようになり、また日本語の音に漢字を当てはめて表すということも行われるようになって、日本人は漢字を“文字”として使用するようになった。

そして平安時代。

当時は漢学の素養は男性のものであった。男女平等という時代でもなかったので、女性は漢字の使用を控えていたようで、その結果として、日本独自の文字である「平仮名」が女性たちの間で普及することとなった。漢字のことを「真名(まな)」「男手」と言い、平仮名は「女手(おんなで)」と言う。おそらく仮名を最初に発生させたのは、漢字を崩していったという意味においては男性たちだったのかもしれないが、それを平仮名として完成させたのはやはり女性たちだろう。

もし感情表現豊かな女性たちが堅苦しい漢文、漢字だけで文章を書いていたとしたら、日本的情緒、細やかな美意識が存分に表現された、あの『源氏物語』も『枕草子』も生まれない。

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

これは有名な『土佐日記』の冒頭部分。「殿方も書くという日記を、女である私も書いてみようと思う」。作者の紀貫之は男性なので、一瞬、ん?とも思うところだが、これは女性のふりをして、あえて“仮名”によって日記をしたためたことを意味している。
漢字から日本人の感性にフィットする文字が出来たということを実感している、それを伺わせる一文だ。