笑顔で。

書家という仕事は、机の前に座り、静謐に文字と向き合うことばかりではない。
下の写真はこれから始まろうとしている、あるプロジェクトの打ち合わせ中の一コマ。

伝統文化にしても最先端テクノロジーにしても、何かを創出しようとすることにおいて、共通点がある。
それは目に見えないことを、見ようとする試み。

世の中は、目に見えることだけを信じている人、理解の及ぶものしか認めない人、例えばお金という社会制度にまず価値を置く人など、そういった人の方が多い。
そうでない少数派は、“変わり者”というレッテルを貼られてしまう。

作家の五木寛之さんは、「あきらめる」とは、“明らかにして究めること”だとよく言われているけれど、天台宗の空・仮・中の三諦にしても、「諦」とは仏教用語で「真理」という意味なのだから、やっぱり物事の本質というものは、そう簡単に捉えられるようなものではないのかもしれない。
だから、現代で使われているように“断念する”という意味になってしまったのか・・・

イチロー選手が現役を引退した。「イチロス」という言葉があるのかは知らない。ただ私もそんなふうな喪失感を感じている。それは、自分と同じ性質の人と言ったら大変おこがましいけれど(私の場合は自分の名前に引きずられているだけ)、イチロー選手は“明らかにして究めていくこと”を体現していた人だと思っていたし、目標にもしていたから。

生涯忘れることが出来ない2009年のWBC決勝戦のあの一打の感動に、心からの敬意と感謝を。笑顔で。

春なのに…

風をあつめて

関連記事

  1. 書家の課外活動

    2016.07.13
  2. 連島境界刻石

    2015.11.24
  3. 微笑みの国

    2014.09.16
  4. いつか、人は自由になれるのか

    2019.02.11
  5. 書家の手紙

    2014.04.05
  6. 硯の講演会とシンポジウム

    2013.11.29
PAGE TOP