感・覚

先日、学生のタブレット教育が加速しているという新聞記事を読んだ。
前からそんな話があるとは知っていたけれど、コロナという予想外の事態となって、必要に迫られたこともあるのかもしれない。

私はだいぶ前に、アップル社が関わるイベントで、タブレットによる世界初の公開揮毫を国技館で行ったことがあり、その時はタブレットに搭載されていた「書道ツール」を使った。
時代の推移とともに、獣骨→青銅器や石→竹や木→紙、と文字を記す媒体も変化してきたので、今後は、紙から電子媒体へと変わっていくということは充分あると思う。
ただ、そこでふと思い出されるのは「ブレードランナー2049」という映画。描かれていたのは、大停電が起こり電子データのほとんどが消失してしまい、残ったのは紙の記録という、なんとも皮肉な近未来・・・。

書家の私が日常的に思っていることとしては、書作では、「どう書くか」の前に「何を書くか」が大切で、「何を書くか」の前には「何のために」がある。
それは、この時代への視線であったり、既成概念と向き合うことであったりもしながら、でも結局、自分の問題であったり、内在する意識の問題という気がしている。

一分一秒単位で短いトピックと箇条書きのニュースが繰り広げられているような、無機質な社会はこうした思索の時間をなかなか与えてくれない。
「何のために書くのか」に思考と想像を巡らせながら、こぼれ落ちて無くしてしまいそうな、人間的な深い体験と豊かな感覚を保ち続けたい。

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    こころの音

    中秋の名月

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