米と物価高騰


深夜の静けさに、微かな渡り鳥の声。
人間界のあれこれとは別に、季節とともに野鳥は逞しく列島を渡り、草木も自力で成長している。

昨年から続く、お米問題。
以前、「米と書」というテーマで講演会のご依頼を頂いたことがあり、米とともに文字(書)も人間にとっては無くてはならないといった内容を、米と文字の歴史を辿りながらお話させて頂いた。
お米が主食だと、生まれた時から、いや古く奈良時代には主食になっていたという私たち日本人にとって、飢饉でも有事などでもなく、生産されているお米が手に入りづらい時代が来るなどと、誰も想像していなかったのではないだろうか。

不測の事態の為に保管されてきた備蓄米も、ついに国の輸送費負担で放出されるまでになり、限られたお店に殺到する人々の様子がニュースで流れている。
ただ、販売店舗が近くに無いことはまだしも、スマホのアプリ登録をしていないと購入資格が無いなどという店舗もあるようで、なかなか平等にとはいいがたい。
いよいよお店も消費者も、サバイバルな時代になってしまったのかと、ため息が出てしまった。

普段は外食も少ない私が、先日、古書店が立ち並ぶ街で、ランチをとるため、ある飲食店に入った。
そのお店は町柄ということもあるけれど、けして高級店ではなく、会社員の方々で席の多くも埋まっていたので、何のプレッシャーも感じることなく、席に座りメニューを見た。
私は一番安価なチキンカレーを注文することにした。
驚いたことに、そのチキンカレーはスープ付きで1,400円(税別)だった。自宅で作るカレーとは一味違う味とは言え、庶民の代表的な料理の値段とはとても思えなかった。

最近は、自転車で12~3分、おそらく自宅からは2.5キロくらいのところにあるスーパーマーケットへ、少し遠いけれど通っている。
そのお店は店内の雰囲気もいいし、午前中、夕方、夜と、どの時間帯に行っても多くの人で賑わっている。
いろんな意味で良心的なお店で、物価高と言われていても、当然のようにそれをそのまま価格に反映するようなことはしてはいない。
もちろん高い商品もあるけれど、その分、そのときどきに安く出来る商品はとことん安価で販売してくれているので、トータルでは物価高をあまり感じることはない。
プライベートブランドも充実している。お試しで買った板チョコや牛乳も安価であるけれど、これがとても美味しかった。
景気に左右されず、物価高にも無縁で生きられる安心感は、ともあれお店と消費者との信頼関係にあると思って、私なりにそのお店に通うようになった。

雑誌「GIANNA」インタビュー

それだけで、救われる世界

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