先日、デザイナーの山本耀司さんの本を読んでいたら・・・
布地というのは、生き物で、1~2年寝かせて自然収縮していた方が良くて、何度か四季を越えている間も糸はずっと生き続けているので、そういった過程を経た方が、その布地が持っている本来の魅力は現れてくる、というようなことが書かれていました。
というわけでもないのですが、私は本や洋服、CDなど、つい貯まって、結構な量となってしまいます。
それらは私にとって、物とか情報というより、有機的な“作品”として捉えているところがあり、なかなか手放すことができないのです。
ただ、ともすると集めることが目的となってしまうので、そこは気をつけなければいけないとは思っています。
何事も出逢いですから。
もしかしたら本当は、『男はつらいよ』の車寅次郎さんのように、必要なものはトランク一つ分くらいで、あとは手に入れないことを愉しみ、手に入れられないものを味わうということが、“風流”ということなのかもしれませんね。
さて、先日はある媒体の撮影のお仕事で、桜を見に行きました。やがて散ってしまう桜は、やはりとても美しかったです。最近はよく、震災後の日本の再生論がいろいろ飛び交っていますが、そこでは相変わらず“強いこと”、“発展し続けていくこと”こそが正しいとされています。
“はかなきこと”や“あはれ”ということは、始めから否定されてしまっているように思います。
人間社会と自然界の隔たりは、大きくなるばかりなのでしょうか。