本当のSAMURAI

混一疆理歴代国都之図

朝夕は暑さも落ち着いて、少し過ごしやすい季節となってきました。この夏は、夏をほとんど感じることが無かったくらい、走り抜けるかのように過ごしてまいりましたが、先日、私もその準備に携わっていた『読売書法展』も無事に開催の運びとなり、少し一息ついています。

今は、11月にモンゴル国で開催するワークショップの準備を始めたところで、モンゴルについていろいろと調べ事をしています。

西洋の近代化以降、私たちは世界情勢を捉える際に、西洋から見た世界観をひとつの指標としていますが、モンゴル帝国(日本では鎌倉~室町時代)は、ユーラシア大陸の大半と北アフリカを征服して配下に治めていたので、モンゴル帝国を中心とした世界地図や世界観というものもあったわけです。当時の人々がどんなふうに世界をイメージしていたのか、興味は尽きません。

さて、そのモンゴルの英雄といえば、やはりチンギス・ハーン(江戸時代には、一部で源義経と同一人物説もありました)ですが、彼には日本の『武士道』精神に通ずる何かがあったのではないかと考えを巡らせていたところ、ちょうど『ウルヴァリン』というハリウッド映画が近日公開となるというニュースを目にしました。この映画は、私と同じ事務所の福島リラさんが出演されていますが、日本が舞台で、サブタイトルには、“SAMURAI”と明記されています。海外の人が、日本のことをどう見ているのか、こちらも興味がありますが、そもそも世界から憬れの対象となっている「侍」について、私たち日本人は、どこまで知っているのでしょうか・・・。

いい機会ですので、これについても調べてみました。

もともとは平安時代頃に身分の高い人々にお仕えして、警護するお役人=「侍」(「人に仕える」という意味の言葉、「さぶらう(候ふ・侍ふ)」が由来)が始まりのようです。はじめは武士の中でも比較的身分の高い位の人たちを指していたようですが、戦国時代、特に腕っぷしの強い兵士が求められるようになると、戦(いくさ)で戦う者を「侍」と呼ぶようになり、豊臣秀吉などの英雄が日本でも生まれます。そして、江戸時代になって、旗本以上の武士階級を指していうようになり、また士農工商が確立した以降は、「武士」全体を指す言葉として使われるようになったようです。

時代に必要な形で、その意味合いも変わってきたことが分かりますが、ただ、現代の日本人が考える「侍」や世界の人が敬愛している「侍」は、職業としての「侍」ではなく、また腕っぷしがただ強い人というイメージでもなく、やはり、そこには『武士道』という精神があることが、支持されている理由なのではないでしょうか。

『武士道』は、仏教・儒教・神道の影響をそれぞれ受けているもので、神道からは祖先や神への崇敬と主君に対する忠誠心、仏教からは運命を受け入れ、死に対する意識、儒教からは道徳観が参考にされています。そして、礼儀や心得を重んじ、その主たる思想は、「自らの行動や責任に命をかける」ことにありました。この「命をかける」ということから、「切腹」という習わしも生まれ、これは西洋の騎士道には無い、日本独自の美学となっています。

グローバルな視野で生きることが奨励されている現代ですが、まず自分の役割や立場に立ち返って、その言動に自分自身で責任が持てなくては、人々の信頼は得られませんし、何も成し遂げられないのではないかと思います。そして、そのことを証明してくれたのが、先日、大記録を達成した現代の侍、NYヤンキースのイチロー選手です。