法廷ものの映画からも伺えるように、不正が蔓延する世の中にあっては、「正義」とは勝ち取らなければならないもの、つまり尊いものであると私は思う。性善説と性悪説。人間の本質がそのどちらにあるのか、人間が人間である以上、解明することは困難なことではあるけれど、ただ少なくとも「善」の実践の方が、「悪」業よりも容易いことではない。

文字学的な観点から見れば、「善」、「義」、そして「美」という文字には共通点がある。

いずれの文字にも、“羊”が含まれている。古代中国では、神による審判を仰ぐ際に、羊が神獣として、神に捧げられていたとされる。それは「吉祥」の「祥」の字が“羊”に、“示偏”が付いていることからも裏付けられる。「示」は、机を表す。改めて、白川先生の字書『常用字解』をひいてみると、「善」とは、もともと裁判用語であり、そこから「神の意思にかなうこと」となり、「よい」「ただしい」になったとある。

日経ビジネス 2月9日号

うつればかはる世の中を

大正浪漫

関連記事

  1. 清らかなるもの

    2014.10.22
  2. 熊野“筆”巡礼 榊山神社

    2016.09.05
  3. あるお寺の書

    2014.04.15
  4. 未知との遭遇

    2017.09.17
  5. 足らぬを知る

    2016.07.21
  6. Go To キャンペーン

    2020.07.23
PAGE TOP