合縁機縁


前回のブログからまた2か月が経ってしまった。

時の短さと年末の寂しさが入り混じった、日暮れの薄闇と冬の匂い。
街に出れば、毎年、繰り返されるクリスマスの光景。
とはいえ、365日という月日は、いいことも、またそうでないことも合わせて一年となり、誰にとってもまったく同じ一年とはならない。

私のことでは、銀座で書道講座を始めた頃から15年以上継続受講してくれていたご高齢の女性から、泣きそうな声で「辞めてもいいか…」と、最近電話があった。
コロナ禍の自粛で外出が怖くなり、銀座にこられなくなってしまったものの、ずっと講座に在籍し続けてくれて、在宅での受講で学んでくれた。
電話でよく話していたこともあり、仲間と直接会えない寂しさ、そして自分の思うようには動かない身体の辛さが長い間あったことは、以前から感じていたのだけれど…。
でも、その女性と私の関係はこれからも続く。

また数日前には、こんな連絡もあった。
書道を指南している小学4年生の女の子がいて(私は現在、児童向けの教室は開いておらず、その子はお母さんが連れてきて、大人と一緒に学ぶことになった)、書を始めてから2年程経つ。
その彼女が書いた作品が「学校の代表に選ばれた」と、お母さんから聞いた。
もっとも、学校のカリキュラムにあわせるような指導など私はしていないし、大人の中では、口数の少ない彼女が小躍りして喜びを表していたというのだから、自らの力で掴んだ確かな感触があったのだと思う。

書道で繋がる縁。
細くも長く、時を共にするということは、その人と一緒に人生の一部を重ねることでもあり、それはお金になど換えることはできない。

書作という慰め

江頭(こうとう)に哀しむ

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