一番か、一流か


曲がりなりにも私は、幼少期から「書」と一緒に過ごしてきた。
最初は「習字」にはじまり、いつからか「書道」を意識するようになって、「書芸術」の世界の門を叩いてからも、同じことを積み重ねてゆくという日々は変わっていない。

先週のこと。
「ちょうど10年前の7月からだったんです」
教室に通い続けてくれている生徒の方から、そんな申し出があった。
ともすれば流されてゆくような日々の中で、その一日に特別さを見出してくれた人は、こうも続けてくれた。
「これからもよろしくお願いします!」

きっと、道とは〝一番〟を目指すのではなく、いつかは〝一流〟になりたいと願い歩み続けていくこと。これからも、ともに書の道を歩んでいきたい。

さて10年。
この間に「手で書いて、心を伝える」という基本から外れていった文字文化は、筆記せずともデジタル機器に委ねられ、あるいは身体感覚を離れて、特にSNSなどの媒体では、言論とともに操られながら良識も良心も失って、文字は〝武器〟になってしまった気がする。

そんな世の中と逆行するような淡々とした書の日々に、もし光や力があるのだとしたら、それは消費されるだけの時間や情報とは異なり、心から指先へ、指先から筆へ、呼吸と大気が交わる瞬間に、和紙のうえに墨で顕現するもの。

書は文字という〝利器〟ではなく、汚れなき〝理気〟そのものであると、書家の私はそう思う。

未来へのバトン

シジュウカラの囁き

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