成り・合う


昔、70年代から80年代にかけて、DCブランドというファッションの流行があった。
今は、「景気のいい時代の頃のこと」「昔と違って、実用的で無駄が無いものが求められている」など、どこか消極的、あるいは消去法的な意識が世の中を覆っているような気がする。

先日、DCブランドの先駆け的存在である☞菊池武夫さんの10年前のインタビューを見ることがあった。当時、75歳。その姿は、あまりにかっこいい。
イタリアでは洋服は産業、イギリスでは階級制の基層の上で、地位や社会性を意識し、何を着るべきかが決まってくると、およそそんなお話をされていた。
語られるこの部分の主旨は、おそらく紳士淑女の国、イギリスでは、服に対する気位が心底根づいているということなのだろうと、妙に納得。
一方、〝洋服〟の歴史がそこまで積み重ねられていない日本人は、〝なぜこの服を着るのか〟〝どうして細部にこだわるのか〟といった、洋服へ向ける気持ちを育んでこなかったのではないかと思う。

身体も、人種も、国境も、そのすべての境を超えたところに意義を見いだしている現代社会では、人権問題が優先事項の筆頭に挙がっていて、特に昨今は女性が置かれている社会的地位や立場に配慮が求められている。
ただその反面で、大人の女性に対して〝女子〟という呼称をつけていても、そのことに気をとめる日本人はそう多くはない。
若いことが尊いことであるという、中高年層を〝対象外〟とみなす価値観は、日本特有のものなのだろうか。〝成熟〟という優麗があることを、〝輕薄短小〟がもてはやされだした頃から、日本は見失っているのかもしれない。

    記憶の入口

    モノへの愛着

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