千里之行 始於足下

就職難から、もう一年、四年生をするという学生が増えているそうです。人気の企業に再アプローチするためにという人も多いようです。でも、会社というのは、大企業であろうと、有名企業であろうと潰れてしまう時はいとも簡単に潰れてしまいますし、絶対的なものではありません。また、大企業などが採用を決める基準というのは、勉強が出来る秀才タイプか、あるいは企業が使いやすいタイプかということではないでしょうか・・・。

個人的にはですが、あまり表向きの企業ブランドにこだわって自分をそれに重ね合わせることより、中小企業でも、自分の能力を活かせそうな会社に入って、自分でその会社を大きくしていこうと考えることの方が素敵ではないかと思います。勿論、なにがやりたいのか明確になっていることが前提ではあると思いますが。

かくいう私は、多くの書人を輩出してきた大学を卒業はしたものの、書道とはなんら関係のない小さな貿易商社に就職しました。その時点では、書家としてやっていくことなどは、とてもとても考えられませんでしたし、ともあれ生計のために就職したという感じでした。ただ、書家として立てるかどうかということではなく、作品はずっと書き続けていました。

会社では経理と事務を担当していて(これが自分には向いていると思っていたんです)、小さな会社なのでアットホームで楽しかったのですが、OLとして、いわゆるテレビドラマで描かれているようなアフター5を楽しんだという記憶は皆無!です。通勤に片道2時間もかかっていたということもありますが、仕事が終わったら真っすぐ帰宅して、作品を書いたら寝るという繰り返しの毎日でした。

住んでいた部屋もワンルームでしたが、大きな作品が書けるようにと、内装云々というより、細長いタイプの部屋ばかりを選んでは、内見時にいちいちメジャーで計って(笑)、不動産屋さんにいぶかしがられたりもしました。それでも、どうしても部屋におさまらずに、台所にまではみ出してしまう作品もあったので、そんな時は台所でも書きましたが、そのまま繋がっている玄関で、コケてしまったり(笑)。

また、今ぐらいの時期は寒くても暖房を付けると部屋が乾燥して墨が乾きやすくなってしまうので、暖房も付けられず、真夜中にブルブルと震えながら書いていました。こんなふうに言うと、なにか地味で悲惨な感じを受けられるかもしれませんが、自分としてはどれもいい思い出です。とても充実していたと思います。

書家というのは基本的に地盤、看板が必要だとも言われているところがありますが、いずれも私にはありません。だから、ただ書き続けることしかなかったのだと思います。これは書家に限ったことではないと思いますが、

《千里之行 始於足下 ~老子~》

自分を確立していくということでは、これは真実だと思います。

千里之行 始於足下

底冷え~立春

西へ、東へ 

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