少し前のことになりますが、『大人のOFF』という雑誌から、特集ページの題字のご依頼を頂きました。特集内容は、『美しい日本語 言葉のマナー』です。詳しくは雑誌をご購入くださり、ご覧頂けますと幸いです。発売は3月5日で、美しい日本語について、“文字”の視点からお話させて頂いている私のインタビューも掲載されています。
ところで最近は、たまたまですが、日本語による歌について、少し考えたりもしていました。英語にすれば何となく格好いい、そんな感覚があるからか、今も流行歌には英語が多用されています。確かに日本語より英語で伝えた方が表現しやすく、伝わりやすい言葉も多いですし、私自身も都度カタカナ語を使ってしまうのですが。
以前、このブログでもお話しさせて頂いた、明治から昭和初期に作られた、いわゆる小中学校で習う「唱歌」というものには、本当に美しい日本語がたくさん詰まっています。では、平成23年の今、唱歌ではなく流行歌で、感傷的なラヴバラードではない勢いのあるロック的な曲で、日本語の美しさにこだわっているアーティストはというと・・・。そもそも西洋生まれの8ビートに日本語を乗せること自体が、物理的に難しい面もあるとは思うのですが。
ただ、本来美しい“響き”を持っている日本語が、実際に使われにくいということは確かで、その背景には、そうした響きを打ち消してしまうような情緒感の欠如した殺伐した空気感が、世の中に蔓延しているという、その現れでもあるように思います。それはもしかしたら、1950年以降の物質至上主義による爪跡でもあり、大量生産、大量消費社会の弊害によるもの、とも言えることはないでしょうか。
かつて、物質文明ではなく、精神文明が栄えていたと言われる太古から大和時代くらいまでの日本には、“言霊”という言葉の響き自体にパワーが宿っていると信じられていたようです。
万葉集にも、言霊はたくさん出てきます。
敷島の 大和の国は 言霊の 佑(さき)はふ國ぞ 真幸(まさき)くありこそ
(柿本人麻呂)
“言霊”は“事霊”とも表記され、同義語だったようで、つまり、言葉を発することで、事が起こるとされていました。
現実と向き合い、それに挑んでいくなり、乗り越えようとしていく時、いつの時代でも言葉というものは“力”になります。今は何かと息苦しい時代ですが、だからこそ、リアルな現実を伏し目がちに描いたような歌ではなく、美しい日本語による、真正面から“理想”を掲げた力強い歌が聴いてみたい、そんなことを思ってるこの頃です。