外出には日傘が欠かせない、真夏のような日が続いている。
涼をとるため、緑に囲まれた山寺へ。
楓の葉を、“もみじ(ぢ)”と言うようになったのは、いつからだろうか。もともと“かえで”は、“かへるで”と言われていた。
言われてみればその葉は、“蛙”の手に似ているように思う。
利休は「樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の 道のさびしさ」という慈円の一首を挙げて、紅葉ではないことに侘び・寂びの美があると語っていたが、それも頷ける。
真っ赤に染まっていないこの季節のもみじは、墨の匂いのように、心を落ち着かせてくれる。
梅雨入り前、清風に身をゆだねて青空を見渡していると、書家ということではなく、自然に、書きたいという気持ちが湧いてくる。